戦後80年を迎え、多くの人々が平和を希求しています。
それにもかかわらず、イスラエルはガザを徹底的に破壊し、米国を巻き込んでイランに戦争を仕掛けてしまいました。
本来ならば仲介役になるべき米国が火に油を注いでしまっている有様に怒りさえ感じてしまいます。
大半のイスラエルの国民も、米国の国民も平和を望んでいたと思います。
強権的な政権になってしまうとこんなに世界に混乱と不安を与えてしまうものかとウクライナに戦争をしかけたロシアを見ても思いました。
自分たちの政権を守るために戦争をしかけています。
本来なら、国民の幸福のために奉仕するのが、政治家の務めですが、自分たちの保身のために戦争を起こしているようにしか見えません。本当に残念です。
「戦争は人間のしわざです。
戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死です。」と広島の平和公園で平和宣言されたヨハネ・パウロ2世の言葉が蘇ってきました。
いつも戦争で犠牲になるのは弱い立場にある子どもやお年寄り、女性たちです。死者何名と数字で情報が淡々と伝えられますが、一人一人のいのちが失われ、そして、それに関連する人々の怒り悲しみ、苦悩がいかばかりかと思います。武器は絶望しかもたらしません。武器は平和をもたらしません。
暴力の連鎖を招くだけです。
「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる」とイエスは言われました。
真実の言葉だと思います。
すべての道はローマに続く。
と言われたあの栄華を極めたローマ帝国も剣で滅びてしまいました。
終戦記念日を迎え、改めて平和の尊さを感じます。
平和は守り育てていかなければいけないと改めて思います。
強権的な指導者たちが、国民の声に耳を傾け自分たちの過ちに気づき、平和への道に舵を切っていくことができますように、そして世界に平和が訪れますように希望を持ってあきらめずに祈っていきたいです。
2019年12月4日、アフガニスタンで中村哲さんが何者かによって銃撃されいのちを落とされました。
まさに平和の為に尽くされた方でした。中村先生はアフガニスタンで人々に医療や衛生、更には小麦、コメ、野菜などをつくる農地に必要な水を提供することによって、人々のいのちを大切にしようというのが、先生の目指していたことでした。
まさに「武器ではなくいのちの水を」という精神が何よりも重要なことだと固く信じ、その手本を自ら行動で示したのでした。
皆さんは、子どもに大人気の、アンパンマンというアニメは良く知っていることでしょう。
アンパンマンの作者やなせたかしさんは、戦争に行って、正義について考えるようになりました。「正義というものは、あやふやなもの、正義はある日、突然、逆転する。昨日まで正しいと思っていたことも、明日には、悪に変わるかもしれない。」と。
本当の正義とは何か?普遍的な正義とは何か?「正義って、何だろうと考え時、自分の身を犠牲にしてでも、人を助けようとすることだという思いが、僕にはありました。」
「大きなことを考えなくていい。身近にいる困っている人たちを助けてあげることが、誰にでもできる正義なんだ」と。
これをやなせさんは「絶対的正義」と言っていましたが、これは中村先生と通じるところがあります。
アンパンマンは、自分の顔をちぎって空腹の人に与えます。
中村先生も空腹のアフガニスタンのひとびとに食べ物を上げたいと思って、砂漠を、食べ物を作る田んぼや、畑に変えるために、必要な水を届けることを考えました。
先生は感染症の患者に抗生物質を与えるよりも清潔な水を提供するほうが、有効だと考え、井戸を掘っていきました。
先生が、掘った井戸は1,600本にも上ったそうです。
また、用水路も作っていきました。用水路全体の設計も手掛けましたが、用水路を完成させたのは現地の農民たちでした。
アフガニスタンでは、外国が中心となったプロジェクトは、それが終われば持続しないことの方が、一般的でした。
そうした中で、現地の農民たちが自らの手で、つくった用水路は、農民たちの自立にもつながっていきました。
「平和をもたらす人は幸いである。その人は、神の子と呼ばれるであろう」(マタイ5章9)。自分の名誉や保身のためではなく、「身近に困っている人たちを助けてあげることが、本当の正義なんだ」(やなせたかし)。
まさに中村先生はそのような働きをされた方でした。
「人は何のために生まれ、何をすべきか」「人間が一番嬉しいことは何だろう。
長い間考えてきたが、人間を喜ばせることだということがわかった。
人は人を喜ばせることが一番嬉しいんだ」(やなせたかし)。
人を活かす事、平和の為に働くこと、自分がしてもらって嬉しい事を他者にもしてあげること。
昨年、69歳で帰天された竹谷基神父(新司祭として秋田教会で働いた)さんのところにお見舞いの為、多治見修道院を訪問したことを思いだしました。
部屋にはアンパンマングッツの人形がたくさん飾ってありました。
竹谷神父はその日は体調がいつもより良くたくさん話してくれました。
神父さんの行きついた結論は「人をよろばすこと」まさにアンパンマンの姿でした。
司祭として困っている人たちを助け喜ばすこと、それを身をもって生きていたんだと感じました。
「平和をもたらす人は幸いである。その人は神の子と呼ばれるであろう」
最後に戦後80年を迎え、また、8月15日は聖母マリアの被昇天をお祝いします。
マリア様は平和の元后ともいわれていますので、いつも平和の為に取り次いでくださっています。
人と人を結び、かけ橋となって下さるマリア様、どうぞ私たちも平和の道具としてあなたと共に神様と人々の為に働くことができるようにお導き下さい。
「主はみ腕をもって力を示し、心の思いの高ぶった人を追い散らし、権力ある者をその座から引きおろし、卑しい者を引きあげ、飢えた者を良いもので満たし、富める者をむなしく追い返されました」(ルカ1章51~53)。このマリアの賛歌がいつの日か実現することを希望しながら、私たちも回心の道を歩みながら自分の身近なところから平和を作ってまいりましょう。